岐阜市三輪(三輪北校区)にある、お寺、神社、石仏等をご覧いただけます |
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岐阜市北野668の1 大智寺入り口の門 境内には岐阜市指定 保護樹としてクロガネモ チ、サザンカ、イチョウ の巨木、古木があり、 いづれも古くから人々 の目を楽しませてくれ ています。 大智寺HPをご参考下さ |
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詳しくはこちらを ご覧ください 連絡事項 |
落語の祖 安楽庵策伝 縁のお寺として近年注 目を浴びています。 毎年、正月には落語法 要と銘打ち、記念すべ き第1回は桂三枝師匠 が落語を奉納しました。 |
大智寺 ゆかりの 各務支考が 晩年建てたという 獅子庵を再現してあり ます。 大智寺HPをご参考下さい |
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天成元年(1573 正親町 天皇)浄光法師の開基に して同師を開山とす |
長松山妙久寺(岐阜市三輪805番地1) |
宗派 日蓮宗 本尊 大界大曼荼羅 本山 京都本圀寺 |
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建武元年(西暦1336年)
日像菩薩を開基とし蓮國寺を創建(加茂郡市平賀村) 下房国葛飾郡平賀で生を受け、7歳で出家、身延山日蓮上人の弟子となる。成長後、 師の遺命により、京都において弘教に努めたのち、各地遊化の際、故郷の平賀と同名、 当国市平賀に同宗門の者を訪ね、ここに一寺を開いたものと云う。(笠松町史) 慶長12年(西暦1607年)
領主(代官)栗原加賀守が当寺権大僧都日経上人に帰依し(繋珠録)、その招聘によ り山県郡三輪村に移転。(笠松町史)菩提寺として境内に、1反3畝18歩高1石6 斗4升を寄付。(山縣郡志) (山県郡三輪村・・・現在の岐阜市三輪宮西409番地:蓮國寺跡) 元和6年(西暦1620年) 栗原加賀守逝去(10月25日) (法号華徳院前加州大守法蓮日種大居士) 栗原加賀守、部下の年貢の横領に関する監督不行届きを理由に失脚。代官を罷免 され、栗原本人も在任中の会計不正事件で切腹。4人の孫は津軽に預けられた。 (岐阜県史) 寛文7年(西暦1667年) 日箋の時、妙久寺と改称し(金山鈔)、宮上村の現地に移る。太田弥右衛門・長谷部 孫右衛門両人の尽力大。(後藤文書、寛文元年改称等、年代に諸説あり) 宝永4年(西暦1707年) 円祐の時、蓮國寺を笠松八幡町に移転。(山縣郡志)笠松郡代の手代秋山武左衛門尉 の強い願いで。この時京都本山妙覚寺の直末となる。笠松陣屋と特殊な関係があった。 長秋山蓮國寺(笠松町史、宝永2年開山) |
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